彰義隊をかくまい新政府軍に攻撃される~経王寺~|東京都荒川区

彰義隊をかくまい新政府軍に攻撃される~経王寺~|東京都荒川区
経王寺
東京都荒川区にある経王寺は戊辰戦争ゆかりの地である。
戊辰戦争の一部、上野戦争が始まったのは慶応四年 / 明治元年五月十五日(1868年7月4日)の事である。

上野戦争と経王寺

鳥羽伏見の戦いに負けた徳川慶喜ら旧幕府軍は江戸へ戻ってきた。
その後西郷隆盛と勝海舟によって江戸城無血開城が行われる。
江戸城は開城したものの薩摩・長州のやり方に不満を持っていた旧幕府軍の家臣たちはぞくぞくと上野・寛永寺に集まってくる。
寛永寺は徳川家の菩提寺があったため、徳川幕府の象徴だったのだ。
新選組原田左之助もこの上野戦争に参加している。

五月十四日(7月3日)寛永寺に集まった旧幕府軍の残党の討伐が正式に決まり翌日の五月十五日(7月4日)、上野戦争が始まる。
新政府軍の指揮官は大村益次郎。西郷隆盛も参戦していた。
戦闘は谷中の団子坂や黒門付近で行われた。
当日の夕方午後5時には彰義隊はほぼ全滅。
上野戦争は終結した。
この時彰義隊の残兵が経王寺に逃げ込んだ。
寺は彰義隊をかくまったが、そのことが新政府軍に露見し、攻撃を受けた。
当時はおそらく日本一の権勢を誇った寛永寺はその後敷地を新政府軍に没収、現在は上野公園となっている。

経王寺(きょうおうじ)基本情報

明暦元年(1655)創建の日蓮宗の寺院で大黒山と号し、境内の大黒堂には日蓮上人作という大黒天が祀られています。旧谷中七福神のひとつです。
慶応四年(1868年)の上野戦争に敗れた彰義隊士がこの寺に隠れたため、新政府の攻撃を受けた。
天保七年(1836)建立の山門には銃撃を受けた銃創が今だに残っている。
山門にのこる上野戦争時の銃創


荒川区の文化財となっている
住所は荒川区だが、JR日暮里駅から徒歩3分のところに位置している為、戦闘場所であった団子坂などから非常に近い。
所在地:東京都荒川区西日暮里3-2-6
アクセス:JR「日暮里駅」徒歩3分

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