稗田利八(池田七三郎)の墓|東京都港区真浄寺

 セレブ街の代表格・東京都港区麻布。その中でも各国の大使館が立ち並ぶ一角に新選組隊士稗田利八(ひえだりはち)は眠っている。

ざっくり稗田利八(池田七三郎とは)

名前:稗田利八(ひえだりはち)・池田七三郎(いけだしちさぶろう)

嘉永二年十一月十三日(1849年12月27日)上総国山辺郡に生まれる。源貞利、利定 

剣術は一刀流。新選組での役職は局長附。

慶応三年六月以降に入隊。同四年八月の母成峠の戦いに敗れたのち斎藤一、久米部正親らと会津に残留し、 九月の如来堂の戦いで戦死したと思われていたが脱出した。脱出後会津の田島で水戸諸政党に出会い水戸城奪還を試み、新政府軍を攻撃、失敗。10月に千葉県銚子にて警備していた高崎藩に捕縛される。1年間の謹慎の後釈放。~昭和十三年 (1938)一月十六日に亡くなる90歳まで生き新選組最後の生き残りとなった。

子母沢寛の取材を受け、当時の回顧録 「新選組聞書~稗田利八翁思出話」を残して いる。

その中で明治になって斎藤一から直接聞いたという天満屋事件の話はとても興味深い。

稗田利八の墓

稗田利八の墓がある真浄寺は日蓮宗の寺で「妙光山真浄寺」という。周囲にはロシア大使館、アフガニスタン大使館、パナマ大使館などの大使館が並んでいるためあちらこちらに警備員や警官が立っている。地図を見ながらきょろきょろしていると犯罪者を見るような目で見られる。新選組の屯所近くをとおる町人は同じような気分を味わっていたのかもしれないと思うと、鋭い視線も悪くない。

真浄寺
墓地は写真の左側から入れる。
稗田家の墓石

池田七三郎事稗田利八の墓
稗田利八の墓石
稗田利八の墓は稗田家墓地にある。「新選組 池田七三郎事 稗田利八之墓」とある。わざわざ墓石に刻むぐらいなので新選組隊士だったことを誇りに思っていたように思われる。

所在地:〒106-0041 東京都港区麻布台2丁目3−18

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