市立函館博物館~中島登の錦絵他、貴重資料多数~|北海道函館市

市立函館博物館~中島登りの錦絵他、貴重資料多数~
訪問日は無料開放日
函館公園内にある市立函館博物館には、新撰組なら一度は書籍などで目にしたことの或る資料が展示されている。
日曜日は無料開放日なのに加え、全館、写真撮影も可能という大盤振る舞い。
新撰組ファンなら必ず押さえておきたい施設の一つ。

博物館の資料

博物館所蔵の資料は文化から歴史まで幅広い。特に箱館戦争に関する資料は充実しており、銃、刀、制服、模型、絵図等、見どころは多い。
どれもおススメなのだが特におススメの資料3つを紹介したい。

必見その1:箱館総攻撃前夜の様子

明治二年五月十日(1869年6月19日)、新政府軍の箱館総攻撃前日に旧幕府軍の幹部らは登楼して宴会を開いている。
その様子が描かれた巻物が展示されているのだ。
箱館総攻撃前夜の様子
箱館総攻撃前夜の様子が描かれた巻物

〇十日快晴
中略
明日進擊之達有之。『箱館出張日記』
吾与同僚相馬主殿至一妓院、予知官軍大挙来侵、傾杯通 宵不眠、既而礟声霹靂轟自海上、登楼頭而見、天未明只 見火光而不見艦、吾至礟、主殿馳馬於海滋、 戒諸営。
『函館戦記(大野右仲)』

明日ハ官軍が総攻撃をするといふことで、別れを告げんために函館の武蔵野といふ妓楼がござりましたが、それに榎本、松平、大鳥を始め将校皆な集まつて別れの盃を致しました。天明を待って榎本等いみな五稜廓に帰り私ともハ函館の入口の七重村に打て出てる積りて別れました。果して天明に至たらぬ中 から官軍の各軍艦から発砲し始めまして、艦隊残らす運転して五稜廓と函館を砲撃致し、大軍の陸兵も三方より参りまして二日の間、海陸とも大激戦であ りました。『史談会速記録(人見勝太郎)』 


仙台で新選組に加入した大野右仲によって書かれた『函館戦記』には、この日大野は同じく新選組の相馬主計と妓楼で酒を飲んでいたと書かれている。
明けて十一日の未明に新政府軍からの砲撃が開始された。
遊撃隊の人見によるとこの日妓楼で飲んでいたのは大野と相馬の二人だけではなく、榎本や松平、大鳥など将校たちもいた大宴会だったようだ。
おそらく土方歳三も参加していただろう。
真木の物書かれている中心で踊っている人物は幹部達の内誰だったのだろうと想像が膨らんでしまう。
人見の話に出てくる「武蔵野」は 北海道函館市豊川町10−1にあったとされているが現在は何も残っておらずガソリンスタンドになっている。

必見その2:中島登の錦絵

中島登は多摩の出身で新選組隊士としての時期の多くを江戸での諜報活動に費やした。
慶応3年(1867年)、新選組伍長に就任している。
おそらくその時期の前後に新選組本体と合流したと思われる。
箱館まで転戦し、弁天台場で降伏、赦免されたのちは地元の多摩に戻ったが土地を譲り、謹慎中に過ごした静岡へ移り住み、静岡の開墾に尽力した。
明治20年(1887年)4月2日、浜松にて死去。享年50。
その中島が、戦争終了後、弁天台場で幽閉されている間に残した絵が「戦友姿絵」である。
26名の新撰組隊士と旧幕府方5名の志士の姿に追慕の言葉が添えられています。板橋で斬首となった近藤勇をのぞけば、会津で袂を別った隊士と宮古湾の海戦を含む箱館戦争で戦死した隊士です。会津如来堂での戦闘参加者については、消息を確かめる間もなく渡海したため、すべて殉死と記しています。箱館で戦死した隊士の多くは軍服を着用、会津で別れた隊士達は和装で描かれています。 巻頭から、開陽、中島登、近藤勇、土方歳三、山口二郎、荒井破魔男、高田文二郎、粂部正親、志村武蔵、漢一郎、千田兵衛、河合鉄五郎、吉田俊太郎、池田七三郎、中島三郎助父子、原五郎妹女、伊藤鉄五郎、木下巌、鈴木練三郎、蟻通勘吾、粕屋十郎、野村利三郎、菊地央、甲賀源吾、栗原仙之助、三好胖、乙部剛之進、津田丑五郎、長島五郎作、小窪清吉、アイヌの親子が描かれています。市立函館博物館より引用>>
市立函館博物館~中島登りの錦絵他、貴重資料多数~
左から土方歳三、近藤勇、中島登本人
中島登、戦友姿絵
左から髙田又二郎、荒井广破男、山口二郎
本屋雑誌などでたびたび目にする戦友姿絵。
新選組の実態を伝える貴重な資料となっている。
展示されているのはレプリカだが、この目で見る事が出来感無量である。
中島登りが所持していた「新選組袖章」も資料としてある。

必見その3:箱館戦争時の戦力配置図

箱館戦争当時の地図と兵員配置図には、地図に付箋のようなものが貼られており、どこの隊がどこの守備に割り当てられていたのかがよくわかる。
驚くべきは「手引きをしてくれる町衆」の情報も付箋で貼られていた。
旧幕府軍は箱館市民からしたらおしかけの迷惑な存在かと思っていたので、箱館市民の中に協力者がいたことにおどろいた。
市立函館博物館~中島登りの錦絵他、貴重資料多数~
兵員配置図
兵員配置図には新選組ではなく「新撰隊」と書かれている。
配置図によると六十人の隊士が居た。
遊撃隊や彰義隊、春日隊の名もある。

以上二千八百二十三人 上田屋利介 宮川屋与吉之●外れ
 兵士九四百人
以上海陸悪拓三千余人ノ見凶


施設情報・アクセス

所在地:函館市青柳町17番1号
電話:0138-23-5480
開館時間:4月~10月、午前9時~午後4時30分(午後4時30分までに入館した方は午後5時まで観覧できます。)
     11月~3月:午前9時~午後4時00分(午後4時までに入館した方は午後4時30分まで観覧できます。)
休館日:月曜日・毎月最終金曜日、祝日
年末年始(12月29日~1月3日)
GW等特別な日は除く。詳しくは博物館へ>>

■アクセス
市電:「函館駅前」電停から「谷地頭」行に乗車し、「青柳町」電停で下車。徒歩7分。

一緒に回れる近くの史跡

参考文献

  市立函館博文館デジタルアーカイブ


コメント