高龍寺~新選組隊士もお世話になった箱館病院・分院~|北海道函館市

国華山高龍寺・北海道函館
高龍寺の山門

称名寺、実行時寺の隣、函館山のふもとにある国華山高龍寺は寛永十年(1633年)の創建で函館に現存する最古の寺院である。

高龍寺の建造物10件は、国の登録有形文化財に登録されている(2012年)。
歴史ファンだけでなく日本建築ファンにも人気の寺である。
福井にある永平寺派の松前法源寺の僧・盤室芳龍が、亀田に庵を建てたのが始まり。
元々は海側にあったが明治12年(1879年)に現在の位置に移転してきた。
墓地には勝海舟と親交があった渋田利右衛門、日本で最初に種痘を行った中川五郎治など著名な人物の墓がある。
また、松前藩家老で、人物花鳥にすぐれた画家であった蛎崎波響の最高傑作「釈迦涅槃図」(北海道指定有形文化財)を所蔵している。

新選組ゆかりの地|北海道函館市高龍寺
高龍寺本堂


箱館戦争と高龍寺

箱館開港当初には実行寺と共にロシア領事館一行の止宿所となった。
明治2年(1869年)の箱館戦争時には旧幕府脱走軍の箱館病院の分院として負傷者を受け入れた。
箱館病院は2021年NHK大河ドラマ「青天を衝け」で一躍有名になった高松凌雲が院長を務め旧幕府軍、新政府軍分け隔てなく治療を行った病院で、日本で初めて赤十字の精神を体現した病院である。

傷心惨目の碑

傷心惨目の碑(しょうしんざんもくのひ)
箱館戦争当時、明治二年五月十一日(1869年)、旧幕府軍の野戦病院が設けられていた高龍寺に新政府軍側の津軽藩兵が乱入し、傷病兵らを斬殺するとともに建物に放火するという事件が起きた。
のちの明治十三年にそのことを聞いた旧会津藩の有志らが供養塔を建立した。
それが「傷心惨目の碑」である。
碑面「傷心惨目」は中国、唐の文人李華の作「古戦場を弔う文」からとったもので、文字は中国南宋の忠臣岳飛の真跡を写したものである。
新選組ゆかりの地、北海道函館
傷心惨目の碑

高龍寺と新選組

明治二年五月七日、箱館山周辺を警備していた新選組が、地雷火を仕掛けようとしていた不審者を捕縛し、高龍寺に連れてきたという記録がある。
捕縛の際に負傷でもしたのだろうか。
不審者は助命を乞い、小野権之丞は相馬主計と相談をしている。
土方歳三は存命であったが、陸軍奉行並となっていた為、この頃新選組を実際に率いていたリーダーはすでに相馬になっていたのではないだろうか。
新撰組にて山上江地雷火様之もの仕賭候を五人召捕候由、高龍寺来ル。
嘆願候に付、運上所併二相馬主計、大野右仲方へ罷越、高龍寺ヘモ参リ右一件談事相整、七ツ半前頃帰ル『小野権之丞日記』
新選組ゆかりの地、北海道函館、高龍寺
境内に設置された柱は箱館戦争を今に伝える

アクセス

所在地:北海道函館市船見町21-11
電車:市電:函館どつく前駅下車、徒歩約10分
電話番号:0138-23-0631/高龍寺
開門時間:6時~16時30分 境内見学自由/
拝観可能時間9時~15時30分(希望者は寺務所へ)

参考文献

 

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