新徳寺|清川八郎演説|京都府京都

清川八郎が演説をした新徳寺
 鳳翔山新徳寺

新選組と新徳寺

文久三年(1863年)二月八日、江戸の小石川伝通院に集結した浪士組はこの地から中山道を通って上洛。

同月23日に京都に到着。

新徳寺、八木邸、南部邸、前川邸などに分宿した。

浪士組の京都到着後、清川八郎は新徳寺に組員全員を集めて、浪士組の本当の目的は攘夷にあると説く。

ここで反発した芹沢、近藤一派と袂を分かつこととなる。一

部の組員たちと別れた清河は朝廷に上表文を提出し勅諚を賜る。

この動きを良しとしない幕府は浪士組の江戸帰還を命令。

三月十三日に京を発つ。ひと月にも満たない在京であった。

江戸から京までわずか15日間の行程であった。

清川が演説を行った場所

新徳寺の内部は普段非公開だが2023年夏に特別公開された。

しかもご本尊にカメラを向けなければ撮影OKという太っ腹。

演説の場は思ったより狭く、ここに200名も入るのかと思ったが、当時の本堂は板の間だったらしく、おそらく立ち見だったのではないかとのこと。


新徳治寺内部
清川八郎が演説を行った場所

新徳治寺内部
清川八郎が演説を行った場所
新徳寺の御朱印

アクセス

所在地:京都府京都市中京区壬生賀陽御所町48

 

参考文献

   

 


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