明治二年五月十一日(1869年6月20日)
早朝から新政府軍による箱館総攻撃が始まる。
旧幕府軍は新政府軍の攻撃に耐え兼ね、弁天台場、一本木、千代岡の陣屋へことごとく引き上げる。
これにより新選組が居る弁天台場は孤立することとなる。
午前十時~正午ごろ、土方歳三は500人余りの兵士を率いて自ら出陣し、弁天台場の奪取を試みた。
千代ヶ岡陣屋を通り一本木関門に至り、そこで命を落とす。
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この千代が岡陣屋を守っていたのが箱館奉行並・中島三郎助とその息子2人。
五月十五日に新選組のいた弁天台場が降伏。
千代ヶ岱陣屋にも降伏勧告の使者が訪れていたが、中島三郎助はこれを拒否した。
五月十六日、五稜郭からの撤退命令がきたが、こも拒否して、中島は浦賀与力時代の部下らとともに最後の抵抗をする。
1時間の戦闘で守備隊は壊滅し、中島三郎助は2人の息子とともに戦死する。これが箱館戦争最後の戦闘となった。
所在地〒040-0014 北海道函館市中島町36
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