明治十年、西南戦争から帰還した頃の斎藤一あらため藤田五郎は「根津宮永町31番地」に住んでいたとされている。
ではこの住所は現在のどこに該当するのか。
明治から昭和にかけて何度も住所改正が行われているためこれも諸説ある。
第一の候補が現在の文京区根津2丁目14番地である。
跡地には和モダン風老人ホーム「クラシックガーデン」が建っている。
味気ないコンクリートのビルよりも風情があり同時に思いを馳せやすい。
隣には大人気うどん店「釜竹」があるためすぐに分かる。 釜竹の敷地内にはレンガ造りの倉があるがこちらは明治四十二年に建てられたものなので斎藤一は見ていない可能性がある。
釜竹の中庭はクラシックガーデンと共有しているため、斎藤一住居跡を見ながら食事をすることができる。
歴史散策のお昼ご飯におすすめ。
うどんや「釜竹」のレンガ造倉庫 |
第二の候補が根津2丁目6~7付近。
このあたりは住宅やマンションになっている。
いずれにしても近くにあるため、このあたりを藤田五郎こと斎藤一が歩いていたのは間違いない。
文京区2丁目6番地 |
旧町名案内 |
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