復元された旧新橋駅のホーム |
会津の落城により新選組としての役割を終えた斎藤一だが、戦いの日々は終わらなかった。
斎藤一西南戦争に出征
斎藤一改め藤田五郎は明治7年(1874年)警視局に入局する。
御一新、御瓦解ののちも秩禄処分や廃刀令への士族の不満は大きく、秩序不安定は続いていた。
明治9年(1876年)には熊本で神風連の乱、萩の乱、佐賀の乱などが起きていた。
明治9年(1876年)には熊本で神風連の乱、萩の乱、佐賀の乱などが起きていた。
また不景気と豊作が重なり米の値段も下落していたため、各地で農民一揆が発生していた。
明治10年(1877年)1月、ついに薩摩で西郷隆盛が起つ。西南戦争の始まりである。
鎮圧軍には陸軍とは別に全国から1万近くの警察官が動員された。
一方、藤田五郎(斎藤一)は同年2月20日に内務省の警視局で警部補に任ぜられる。
同年5月17日、藤田五郎警部補は「警視第二番小隊半隊長」として西南戦争へ従軍。
新橋駅から汽車で横浜へ向かい、翌18日に船に乗り4日後の5月21日に大分県の嵯峨へ到着。
鎮圧軍には元会津藩家老の山川浩はじめ、旧会津藩士が大勢参加していた。
彼らは会津戦争の恨みを晴らすがごとく大いに奮戦したという。
藤田五郎も反乱軍の大砲を奪うなどの活躍を見せる。
しかし、同7月12日に大分県の高床山で弾丸により右肋骨を負傷すると、陸軍の出張病院へ入院した。
部隊復帰は同8月15日で、戦闘終結後の同10月20日に大分県の臼杵から乗船し帰京した。
明治12年(1879年)年10月8日に勲七等を与えられた。
旧新橋停車場
現在の新橋駅から西に約3分歩いたところに旧新橋停車場はある。
明治五年(1872)四月に完成した駅は九月に新橋ー横浜間が正式に開業し日本初の鉄道となる。
現在の駅舎は1997年にスタートした「旧新橋停車場」外観復元プロジェクトにより、古写真をコンピュータ分析して寸法を割り出すなど先端の技術を使用して復元された。
建物は「鉄道歴史展示室」として無料開放している。
復元された駅舎 |
開館時間
10:00-17:00 ※入館は閉館15分前まで
休館日
毎週月曜日(ただし、祝祭日の場合は開館、翌火曜日が休館)
年末年始(12月29日~1月3日)
展示替え期間中
設備点検時
入場料:無料
※15人以上の団体は、要事前連絡
問い合わせ
旧新橋停車場 鉄道歴史展示室
Tel. 03-3572-1872
〒105-0021 東京都港区東新橋1-5-3
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参考文献
日本経済新聞(2015年9月5日) 新選組の斎藤一、謎多き経歴に光 維新後の従軍など新史料
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