京都を中心に活躍した新選組。
現在の東京都、京都府、福島県、北海道は新選組ゆかりの地が多数あることは有名である。
しかし意外にも茨城県にも新選組ゆかりの地は多数ある。
新選組初代局長・芹沢鴨ゆかりの地
芹沢鴨の出自は諸説あり、いまだに定まっていない。
説の1つである茨城県行方市には芹沢鴨の生家と、芹沢家の菩提寺である法眼寺がある。
また平間重助も同じ地方出身で、若かりし頃の芹沢鴨と平間重助が学んだ曽される玉造郷学校跡地もある。
芹沢鴨・平間重助ゆかりの地~新選組初代局長生家など~|新選組ゆかりの地 茨城県行方市
茨城県新選組ゆかりの地 新選組初代局長・芹沢鴨および副長助勤・平間重助は水戸藩芹沢村(現・茨城県行方市玉造芹沢)の出身である。京都は程ではないが茨城にも新選組ゆかりの地は存在している。芹沢鴨生家、玉造郷校など
新選組副長・土方歳三ゆかりの地
水海道河岸跡|土方歳三下妻へ発つ|新選組ゆかりの地 茨城県水海道
江戸時代の水海道は鬼怒川水運の重要な拠点として栄えた。 河岸(船の発着場)や宿場も整備され、「水海道河岸 江戸へ川通三十三里 運賃米百石に付弐石九斗」とある。 中でも五木田家は会津藩御用達で会津藩の廻米を扱うなど廻漕業を営んでいた。 その縁もあってかはわからないが当時としては水海道河岸から船で北へ向
下妻陣屋跡|土方歳三兵糧と武器を強奪|新撰組ゆかりの地 茨城県下妻市
新選組土方歳三ゆかりの地:土方歳三は慶応四年下妻陣屋をせめ、兵糧や武器を出させた。 水戸天狗党ゆかりの地でもある。
下館城跡|土方歳三城を攻める|新選組ゆかりの地 茨城県筑西市
水海道から川を上り下妻へ到着した土方一行は、秋月が下妻の陣屋を攻めている間、下館城を攻める。 「土方公は二百五十人あまりを引いて同じく下館城に向か 同十七日明け方、城主の石川若狭守の城下にいき、すぐに兵隊をことごとく配置し、大手門の大砲を備え裏門へも同様に備えをもうけ、この とき土方公は大手通りに
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