島原大門|新選組隊士が通った|京都府京都島原

 

島原大門|新選組ゆかりの地
島原大門

島原とは

江戸時代は祇園と同じくらい栄えた「花街」のこと。

起源と名前の由来は?

島原は、官命(当時の政府)により、寛永十八年 (1641) に島原の前身である 「六条三筋町」から現在地の朱雀野に移された。 その移転騒動が、寛永十四年(1637)に九州で起きた島原の乱を思わせたことから、「島原」 と呼ばれるようになった。
正式な地名は「西新屋敷」という。
移転命令が寛永十七年で実際に移転したのは寛永十八年。

島原の範囲は?

島原の範囲は現代でいうと、東の大門から西は千本通りまでの東西 194.9m、北は中央市場青果棟の南側道路から、南は正面通り南一筋目の道 路までの南北242.1mであり、 その面積は47,200 ㎡となる。
島原には6つの町内がある。
町名と場所は以下の通り。
1)「中之町(なかのちょう)」
  大門から東西に走る道「道筋 (どうすじ)」に沿って、一筋目に交差する北側の筋
2) 「上之町 (かみのちょう)」
  中之町の南側の筋
3)「中堂寺町(ちゅうどうじちょう)」
  二筋目に交差する北側の筋
4)「太夫町(たゆうちょう)」
  中堂寺町の南側の筋
5)「下之町(しものちょう)」
  三筋目に交差する北側の筋 
6)「揚屋町(あげやちょう)」
  下之町の南側の筋


新選組と島原

京都で当時の男が遊ぶと言ったら島原か祇園。
特に新選組は屯所からも近い島原がお好みだったようで角屋や輪違屋などゆかりのお店が現存している。
ちなみに新選組の最初の屯所「八木家」から島原大門まで筆者の足で15分。
幕末の屈強な男たちからすれば目と鼻の先ぐらいしか離れていなかったのだろう。

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